私が知っているジャーナリズム

第23回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」で、
大賞は週刊文春の「ベッキー不倫報道」だそうです。

女性陣には反感を買ってしましそうですが、
私はあの報道が、報道スタイルが嫌いで嫌いでしょうがありませんでした。

私もジャナ専なるものを大学時代ダブルスクールで出て、
一応出版の最底辺に居るものです。
ジャーナリズムという言葉に思い入れや考えがあります。
月並みでガキのようなものですが、
「政治や企業の権力者から声なき弱いものを守る」
そういう類のものであるという認識でおりました。
今の時流的には「反体制のサヨ」的な思想にとられるかもしれません。
でも、黒澤映画「七人の侍」じゃないけど、
当の守る側からたとえ小馬鹿にされ、裏切られようと、
信念を貫くのがジャーナリズムというものだと思っていました。

ベッキーは権力者だったのでしょうか?
テレビを良くご覧になる方にとっては、あこがれの対象であり、
たしかに権威だったのかもしれません。
不倫も咎められるものだったのでしょう。
稚拙なLINEのやり取りも暴露をされました。
そういう意味ではショッキングな事件です。
しかし、彼女の愚行はあまりテレビに関心のない私を含め、
多くの生活者に関係する重大事件だったのでしょうか?

善良な多くの大衆、市民を今でも利用し、
彼らの生命、健康を脅かしてでも巨万の富を貪る政界財界の巨悪と、
文字通りペンで戦うという報道は、ジャーナリズムは今年は無かったのでしょうか。

審査幹事社を拝見したところ、
日本の出版を背負ってたつ立派な会社ばかりです。
もし、ジャーナリズムの意味が私の知っているものと変わってしまったなら、
私はジャーナリズムを捨てなければなりません。

旧来メディアの方々は(私自身の自戒も含め)、
ネットのジャーナリズムを稚拙、無責任と批判します。
しかし、これでは、この有様では、

いいおっさんの私ですが、
本当に悩んでしまいます。

そして、こうした社会の変化を
やはり受け入れなければならないのかもしれないと思っています。